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ときに"モーガン"、ときに"たけちゃん"、そろそろもうひとつ名前が欲しい。
2010年 06月 24日
「後進の指導」ということば
ずっと嫌いだった。
誰かに教えるなんて、一人前になってからだろって。
でもそのうち、人間は一生かけても一人前にはなれんのだと気づき、考えが変わった。


20代後半になって、
ひょんなことから専門学校というところで教えることになって、
そこでまず思ったのは
「商業音楽をやるのに、お金出して習いに来るのか?」というカルチャーショックだった。
そして、音楽学校にくる輩は
「楽器が弾けて当たり前、楽譜が読めて当たり前」というのが僕の中での常識だったのだが、
その見方がズタズタに崩れ去った。
ならば、どうやったらこいつらの脳ミソに刻んでいけるんだろうと考えた。


苦い過去がある。

僕の通っていた高校は、世間的には進学校であり、システム上は教育実習校であった。
頭の良いOBも実習にやってくる。

高校1年一学期、数学の授業。
その実習生はきっと、とても賢かったんだと思う。
でもその説明のしかたは、頭がいい生徒への説明のしかただった。
理系脳%が著しく低い僕にはまったく響かなかった。
実習は2週間と長い。数学だから週の授業数も多い。
その人の顔を見るのが憂鬱になった。心の中で下手クソ!と叫んでいた。
実習が終わったときには修復不能だった。
数学の成績が一気に地に落ちたのはそのときからだ。

あれは僕が悪いんじゃない。あの授業がまずかったんだ。
今でもそう思っている。


その苦い経験は繰り返したくない。
わからない辛さをスカッとさせてやりたい。
そのために心懸けていることがある・・・・それは言えないけどね。
でもその手段は、なんだか自分の父親のそれと似ているなぁって思う。

人に説明するために自分も勉強する。
すると曖昧だった部分が明らかになってくる。
相手が曖昧に感じる部分を知るためにも勉強しなくては。
結果的には自分のためでもある。だから楽しい。


数年にひとり位の割合で「才能」に満ちあふれた子が入ってきたりするけれど、
残念ながらそういう子には、自分が思っているようなプロセスは通用しない。
僕は天才じゃないので、天才は放し飼いだ。
ヤツが天狗にならないように叩くのは主任の仕事。
そこまで介入するのは教師であって講師ではない、というのが僕の考え。
by morgan1969 | 2010-06-24 19:10 | 雑記
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